東京地方裁判所 平成10年(ワ)21538号 判決 1999年11月19日
原告
大和田健夫
右訴訟代理人弁護士
宮城朗
被告
株式会社合食
右代表者代表取締役
砂川寿三夫
右訴訟代理人弁護士
高橋達朗
同
多良博明
同
井上康知
主文
一 原告の配転命令の無効確認を求める部分を却下する。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告が原告に対して発した平成九年一一月一日付け配転命令は無効であることを確認する。
二 被告は、原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する平成九年一一月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告の従業員である原告が、被告が原告に対してした平成九年一一月一日付け「社内出向命令」の効力を争い、その無効確認を求めるとともに、右命令の効力を争って東京地方裁判所に対し仮処分命令の申立てをして以降被告から数々の嫌がらせを受け、精神的な苦痛を被ったとして、不法行為に基づく損害賠償を求める事案である。
一 当事者間に争いのない事実等
1 当事者等
被告は、昭和二三年六月に創立され、神戸市兵庫区中之島を本店所在地とし、水産物の荷受、農水産物、缶瓶詰食料品の製造、加工並びに販売等を目的とする株式会社であり、資本金九〇二〇万円、年商約七〇〇億円、神戸本社のほか、全国に三箇所の支店及び営業所を有し、平成一〇年八月現在従業員総数一七八名である。
原告は、平成元年六月、被告に入社し、三か月の試用期間を経て、同年九月、被告に正式に採用され、東京支店の総務経理部総務経理課に配属され、平成七年五月二〇日付けで同課の主任の辞令を受けた。
2 本件社内出向命令
被告は、平成九年一〇月二一日、原告に対し、営業二部への六か月間の社内出向の異動を発令した(書証略)。その際、原告は、上司から所属部署は従前のまま総務経理部に残しつつ、勤務場所を営業二部に移すだけである旨の説明を受けた(以下「本件社内出向命令」という)。
3 本件仮処分命令申立て
原告は、平成九年一一月一八日、本件社内出向命令の効力を争い、東京地方裁判所に対し、本件社内出向命令の効力停止を求める仮処分命令の申立てをした(同裁判所平成九年(ヨ)第二一二三九号、以下「本件仮処分命令申立て」という)が、保全の必要性がないとして、被保全権利の判断に立ち入ることなく、却下された。
その後、平成一〇年五月一一日付けで本件社内出向命令は解除された(書証略)。
4 譴責処分(書証略)
被告は、平成一〇年一〇月一日、原告に対し、<1>正当な理由なく入室を禁ずる部屋への立入り、<2>社内機密文書(社員給与台帳)の盗視、<3>これらにかかわる始末書の期限内不提出の三点を理由に譴責処分を行った。
また、被告は、平成一一年二月二日、原告に対し、原告が銀行への振り込み業務を行うに当たり、経費の二重払いを誘発しかねない事態を招いたこと及び始末書の提出を怠ったことを理由に譴責処分を行った。
二 主たる争点
1 本件雇用契約の内容
(一) 原告の主張
原告は、被告の「男子経理事務」との求人広告を見て応募し、被告担当者からも退職した経理事務担当者の後任として経理事務を引き継いで欲しいとの説明を受け、入社後一貫して経理事務に従事してきたものであり、本件雇用契約は、原告の担当業務を経理事務とし、さらに管理事務職たる総合職職員とする職種限定契約であった。
(二) 被告の主張
原告の主張は否認する。
本件雇用契約書にも原告主張のような記載は全くない。そもそも被告には、職種限定の勤務実態はなく、主任以上の役職者についての職種の変更を伴う配置転換も実施されている。また、被告には総合職といった制度もない。
2 本件社内出向命令の効力
(一) 原告の主張
本件社内出向命令は、職種を限定した本件雇用契約に反し、原告の承諾なくして、原告が担当していた経理事務から経理の補助事務へと職種の変更、管理事務職から補助事務職へと身分の変更を伴う実質的な配置転換であり、業務上の必要性、人選の相当性、手続の正当性のいずれも欠き、原告が被る損害も著しいものであるから、債務不履行ないし権利の濫用に当たり無効である。
なお、本件社内出向命令の無効確認は、過去の法律関係を対象とするものではあるが、それに端を発して、原告の職種及び処遇に変更が生じ、その状態は、従前の勤務場所に復した現在も継続しており、本件社内出向命令の無効確認によって、紛争の抜本的な解決を図り、原告の地位を確定することができるから、確認の利益は認められる。
(二) 被告の主張
原告の主張は争う。
本件社内出向命令は、原告の従前の担当業務の一部が営業部に業務移管されたことから、総務経理部所属のまま、短期間に限り、営業二部の応援と原告の研修目的で勤務場所を異動したものにすぎず、職種及び身分のいずれの変更もない。
また、その後、原告は、勤務場所も従前の総務経理部に戻っており、本件社内出向命令の効力に関する確認の利益は存しない。
3 被告の債務不履行
(一) 原告の主張
被告は、本件社内出向命令の解除後も、原告を本件社内出向命令以前に担当していた業務に従事させず、単純な経理補助事務や経理事務とは直接関係のない業務に従事させている。これは、原告を管理事務職としての業務である本来的な経理事務に従事させることを内容とする本件雇用契約に反するもので、債務不履行に当たる。
(二) 被告の主張
原告の主張は否認ないし争う。
本件雇用契約は、職種限定契約ではない。また、本件出向命令解除後の原告の担当業務はいずれも総務経理部の業務である。
4 被告の不法行為
(一) 原告の主張
被告は、本件仮処分命令申立て以降、総務経理部に戻っても、原告に対し、当初席さえ決定せず、決算業務には一切関与を認めず、日常的に上司の監視下に置き、社内文書へのアクセスも禁じ、人事総務チームの会議にも出席させず、単純作業に従事させたほか、次のような数々の嫌がらせを行い、また、平成九年七月以降賞与を徐々に減額し、特に平成一〇年七月の賞与は前年同期と比較して六パーセントもの大幅な減額になっており、経済的な不利益も与えた。被告のこうした嫌がらせは、明らかに本件仮処分命令申立てに対する報復措置であるから、不法行為に該当し、原告は、その結果、多大な精神的苦痛を被ったもので、その慰謝料は、少なくとも三〇〇万円を下らない。
(1) 被告は、原告が閲覧するのを知りながら、社内文書である業務日誌に
<1>会社の考え方で本人を特にチームに配属していない、<2>したがって、財務経理チームへの転属の必要はない、本人の机を人事総務チームの場所に置いているだけで、人事総務チームへの発令はしていない、<3>本人の業務付加が少ないなら、関連会社の照合も与えたらよい、本人が仕事をえり好みなどできる立場にはないはずであるなどと記載し、公然と原告を侮辱した。
(2) 被告は、平成一〇年七月三一日付け「新業務分担移行に伴う担当者のレベルアップについて」と題する社内の回覧文書の中で、原告について、「本支店管理ができないので任せられない。担当替えせざるをえない。会社の総務経理部員としては不向き。知識、意欲、完結能力が乏しい。会社の変化とスピード、利益追求の職場では生き残れない。このままでは将来重荷になり会社も本人も不幸。会計等を生涯の仕事と考えているならば、アドバイスとして、知識習得により評価される会計事務所等の専門分野への転職が本人のためによい」などと記載し、公然と原告を侮辱した。
(3) 被告は、原告に対し、ワープロ文書の作成を行わせる際、支店長命令、部長命令として文書の漠然とした抽象的な趣旨のみを伝え、一つの文書に二か月ないし三か月もかけて、ほとんど無意味としか思われない形式変更・内容訂正を七回ないし八回も行わせた。
(4) 被告は、原告に対し、書類棚の整理や会議室の整理整頓と称して、他人の業務で使い散らした元帳など、誰の手助けもなく原告一人だけに行わせているのであり、原告の人格権を無視している。
(5) 被告は、原告に対し、平成一〇年一一月一一日、同月一九日に船橋冷蔵倉庫に行き、廃棄書類がどれだけあるか確認してくるよう命じた。原告が、同月一九日、これを確認するとダンボール箱にして一二一箱あることが判明したところ、被告からこれを一人で廃棄場所まで運ぶよう命じられたが、同日は一二箱しか運べず、上司から叱責を受けた。右廃棄書類の処理は、従前男性従業員七名ないし八名でフォークリフトを使用して行っていたものであり、嫌がらせ以外のなにものでもない。
(6) 被告は、平成一〇年一〇月一日、原告に対し、<1>正当な理由なく入室を禁ずる部屋への立入り、<2>社内機密文書(社員給与台帳)の盗視、<3>これらにかかわる始末書の期限内不提出を理由として、譴責処分を行った。また、被告は、平成一一年二月二日にも、「不注意により銀行振込依頼の記入方法を誤り、経費の二重払いに陥る危険を招いたこと、本件に関して結果として二重払いに至らずに済んだことを根拠として一切反省の姿勢なく、始末書提出も怠っている」ことを理由として、譴責処分を行った。しかし、前者については無実無根であり、後者については明らかに二重払いの危険などなかったのであり、いずれも合理的な理由のない譴責処分であり、懲戒権の濫用に当たり、原告の名誉・人格権を侵害するものである。
(7) 被告は、原告に対し、些細な事柄にクレームをつけ、始末書の提出を求め、その際、支店長が原告を怒鳴り叱責し、恫喝するなどして始末書を提出させた。
(二) 被告の主張
原告の不法行為の主張は争う。被告は、原告に対し、嫌がらせ等を行ったことなどない。
(1) 被告は、原告に対し、上司として当然に行うべき部下に対する監督は行っているが、不当な意味を持つような監視などしていない。被告が、原告に対し、財務ソフトへのアクセスを禁じ、専用のパソコンを与えていないのは事実であるが、パソコンの端末が被告のメインコンピュータとつながっており、機密情報が基幹システムに入っているところ、原告は、被告の度重なる注意にもかかわらず、被告の機密書類をコピーして持ち出したり、給与台帳、人事台帳をのぞき見るなどしていたため、右のような措置を取らざるをえなかったものであり、不当ではない。また、原告は、人事総務チームの会議に出席している。なお、原告の平成一〇年七月の賞与を減額したことは事実であるが、これは被告の業績不振と原告に対する査定が理由であり、総務経理部所属の従業員八名中、原告を含めて三名の賞与を減額している。
(2) 業務日誌、「新業務分担移行に関する担当者のレベルアップについて」と題する書面の記載内容については認めるが、公然たる侮辱であるとの原告の主張は争う。
前者は指導の観点から、後者は個人の能力開発とレベルアップの観点からそれぞれ記載されたものであり、侮辱の意思がないことはもとより、回覧を予定された文書でもなく、違法性が問題となる余地はない。
(3) 被告が原告に対し、何度も文書の書き直しを命じたことがあるのは事実であるが、これらの書類は、いずれも業務上必要不可欠なものであったにもかかわらず、原告が上司の指示に従わず、これを無視したことから、上司が通常の業務に最低限必要な文書作成能力を身につけさせるために指導したものにすぎない。
(4) 書類棚の整理等とは、元帳等の文書の管理保管業務であり、法律上保存義務もある重要書類が紛失しないよう管理するものであり、重要な業務であって、名誉・人格権の侵害には当たらない。
(5) 被告が原告に対し、船橋冷蔵倉庫の廃棄書類の確認及び搬出を命じたことは事実であるが、被告は、原告一人で行うことや一日で行うことなどを指示したことはないし、フォークリフトの使用を禁止したこともない。後日、総務経理部長も右業務を手伝っている。
(6) 被告が原告に対し、二回の譴責処分を行ったことは認める。これらは、いずれも正当な懲戒権の行使にすぎない。
また、被告が原告に対し、数回にわたり始末書の提出を求めたことがあるのは事実である。これらは、いずれも原告が社内の事務処理手順のルールを無視したためであり、重大な結果を招くおそれのあるものであり、些細な事柄などではなかった。
第三当裁判所の判断
一 後掲各証拠によれば、次の事実が認められ(当事者間に争いのない事実を含む)、右証拠中これに反する部分は採用しない。
1 原告の入社の経緯及び被告の就業規則等(証拠略)
(一) 原告は、平成元年六月四日付けの読売新聞(書証略)に掲載された被告の求人広告を見て応募し、被告の面接を受け、三か月間の試用期間を経た後、同年九月、被告に正式に管理事務職として採用された。右求人広告には「男子営業社員、男子経理事務、女子一般事務、女子パート事務」を募集する旨の記載がある。被告が当時このような求人を行ったのは、東京支店では売上が増加し、業務が拡大傾向にあったにもかかわらず、新卒者の採用が困難であり、深刻な人手不足の状況に陥っていたので、即戦力として、経験者を中途採用するためであり、特に経理事務に関しては、前任の畑本主任が退職したことから、緊急に欠員の補充を行う必要があったためであった。そこで、原告を経理事務に従事させるために採用するとともに、採用の際、原告に対しても、畑本主任の業務を引き継いでもらう旨説明している。そして、原告は、被告に入社後、総務経理部総務経理課所属となり、経理業務に従事し、平成七年五月二〇日付けで同課の主任となった。
なお、原告の入社に伴って、被告が雇用保険の手続をした際に作成した採用証明書(書証略)には、原告の職種は経理事務と記載されているが、雇用契約書(書証略)には、原告の職種について特段触れられていない。
(二) 被告の就業規則八条一項は「会社は業務の都合を主として本人の希望、健康、技能、勤労状況等を公正に考慮して従業員に転勤又は勤務替えを命ずることがある」と規定し、同条二項は「前項により転勤又は勤務替えを命ぜられた従業員は、特に正当な理由がなければこれを拒むことはできない」と規定している。
ところで、被告の事務処理規定五条、六条によれば、被告の事務分掌は大きく営業部門と管理部門に分かれている。
また、被告の給与規定(書証略)、年齢給格付表(書証略)によれば、被告の従業員は営業・管理事務職と補助事務職に分かれており、それによって適用される給与水準が異なる。営業・管理事務職とは、各種の基幹的業務を推進する役割を担うもので、役職も主任から部長まであるが、補助事務職とは、基幹的業務を推進するに当たり必要となる補助的・事務的業務を担当するもので、役職はない。給与については、初任給については大きな差はないが、五〇歳代になると、営業・管理事務職は、補助事務職の二倍以上になる。
2 本件社内出向命令に至る経緯及び原告の担当業務等(証拠略)
(一) 被告の東京支店は、昭和二九年に開設され、パート従業員、役員を含め四九名で運営され、総務経理部と営業一ないし三部の四部門で構成されているところ、平成九年三月期、支店開設以来初の赤字決算に転落したことを契機とし、支店内業務の合理化を目的として、平成九年七月一日、営業部内の機構改組、業務の移管・統合を行い営業部間で六名の人事異動を行った。その後同年一一月にも、従来総務経理部で行っていた買掛金及び売掛金の照合を営業部門へ移管した。それに伴って、総務経理部で右業務に従事していた原告に対し、平成九年一〇月二一日、本件社内出向命令を発令し、他に三名の人事異動も行った。原告については、他の三名と異なり、業務移管を円滑に進めるための事務応援及び研修(異なる職場を経験することによる本人の管理事務職員としての職務遂行能力の育成)を目的として、総務経理部に在籍のままで営業二部へ六か月間出向という形式を採ることとなった。さらにその後、総務経理部については、従来一つの組織で非営業的な業務をすべてこなしていたが、人事及び総務に関する業務を行う人事総務チームと財務及び経理に関する業務を行う財務経理チームに機構改組された。
(二) 本件社内出向命令以前原告が総務経理部総務経理課で従事していた業務は、主として、現金出納、営業二、三部関係買掛照合及び支払業務の一部、同売上照合業務の一部、営業三部関係請求書の作成業務、現金・小切手、手形等の入金伝票の起票、銀行振込入金の処理、財務会計の一環として、取引先ごとの売掛金・買掛金の管理月報と貸借対照表の売掛金・買掛金との総額のチェック業務、船橋冷蔵倉庫での伝票起票のチェック、船橋冷蔵倉庫の勘定と東京支店の勘定の照合などであった。本件社内出向命令以後の原告の業務は、主として、営業二部の買掛及び売掛照合、仕入・販売のデータ入力などであった。その後、平成一〇年五月一一日付けで本件社内出向命令は解除され、原告は、再び総務経理部に戻り、当初は人事総務、財務経理のいずれのチームにも属さないまま業務を再開したが、後に人事総務チームの配属となった。原告の業務は、主として、郵便の開封作業、郵便物の切手貼り・投函、立替経費の起票、社有車輛管理、本支店の買掛の照合、運賃・倉庫料振替伝票起票、チーム別月次振り分け表の作成協力、倉庫料の支払、日報の配付、賃貸管理採算表の作成、書庫・書類棚・会議室の整理整頓、保存文書の管理等である。
原告の所属は、本件社内出向命令の前後、その解除後を通じ一貫して総務経理部であり、地位も主任のままで、営業・管理事務職員であり、給与には変更がなかったが、賞与は、平成九年末、平成一〇年三月と徐々に減少し、平成一〇年七月の賞与は前年と比較として六パーセントの減額が行われた。なお、同期の賞与については、総務経理部所属の従業員八名のうち、原告を含め、三名の賞与が減額されている。
3 本件仮処分命令申立て以降の原告の勤務状況及び被告の対応(証拠略)
(一) 原告は、平成九年一一月一八日付け本件仮処分命令申立てをしているところ、その前後を通じて、次のとおり、被告に対し五件の始末書を提出し、被告から二回の譴責処分を受け、禀議書の形式で過失の処理を行ったものが一件あるほか、始末書の提出を拒否したものが一件ある。
<1> 平成九年一〇月三一日付け始末書
平成九年一〇月二一日、就業時間中無断外出をしたことを理由とする。
<2> 平成一〇年一一月二五日付け始末書
旅費精算の申請ルールを上司に相談することなく変更し、営業担当者に指示したため、経理事務を混乱させ二重払いに陥る危険を招いたことを理由とする。
<3> 平成一一年一月一二日付け始末書
本社担当者から連絡を受けながら振替伝票を起票せず、本支店勘定を混乱させたことを理由とする。
<4> 平成一一年一月二五日付け始末書
事務処理手順のルールを無視し、かつ報告、連絡を怠り、同じ作業を二人が重複して行う無駄を招いたことを理由とする。
<5> 平成一一年一月二七日付け始末書の提出拒否
原告は、後記<6>の件について、原告の記入による二重払いの危険はなかったこと、長尾繁憲総務経理部人事総務チーム課長代理(以下「長尾課長代理」という)が原告の記入を訂正しなければ問題は生じなかったことを理由に始末書の提出を拒否した。
<6> 平成一一年二月五日付け始末書
不注意により銀行振込依頼の記入方法を誤り、二重払いに陥る危険を招いたことを理由とする。
<7> 平成一〇年一〇月一九日付け稟議書
本件社内出向命令以前に担当していた支払業務の一部を完結しないまま放置し、かつ報告を怠っていたことが本件社内出向命令以後発覚し、被告の信用をおとしめたことを理由とする。
<8> 平成一〇年一〇月一日付け譴責処分
正当な理由なく入室を禁ずる部屋へ立ち入ったこと、社内機密書類を盗視したこと、これらについての始末書の提出指示に応じなかったことを理由とする。
<9> 平成一一年二月二日付け譴責処分
前記<6>の件及びこれについての始末書の提出指示を拒否したことを理由とする。
(二) 原告は、平成九年一二月一二日付けで被告東京支店の会議室、七階への立入りを禁じられ、また、財務ソフトへのアクセスが認められておらず、あるいは原告専用のパソコンもない。
また、各従業員から業務内容の報告を行うために提出するもので、原告が提出した業務日誌(書証略)に当時の上司である那須維昭部長(以下「那須部長」という)は、<1>会社の考え方で本人を特にチームに配属していない、<2>したがって、財務チームへの転属の必要はない、本人の机を人事総務の場所に置いているだけで、人事総務チームへの発令はしていない、<3>本人の業務付加が少ないなら、関連会社の照合も与えたらよい、本人が仕事をえり好みなどできる立場にはないはずなどと記載した。右業務日誌は、原告から上司の那須部長、檜山萬里常務(以下「檜山常務」という)に回付された後、原告に返却されるが、右記載は那須部長から檜山常務宛てのメモであった。
また、被告は、平成一〇年七月三一日付け「新業務分担移行に伴う担当者のレベルアップについて」と題する社内文書で、原告について、「本支店管理ができないのでまかせられない、担当替えせざるをえない、会社の総務経理部員としては不向き、知識、意欲、完結能力が乏しい、会社の変化とスピード、利益追求の職場では生き残れない、このままでは将来重荷になり会社も本人も不幸、会計等を生涯の仕事と考えているならば、アドバイスとして、知識習得により評価される会計事務所等の専門分野への転職が本人のためによい」などと記載されている。右文書は業務に関する能力評価に関するものであり、チーム六名を対象とする内部文書である。
原告は、電話の利用明細、交際費、会議費の経費を部門別に分けてその割合を示す書類を作成する業務、報告書や稟議書を作成する業務も行っていたが、誤りを指摘され何度も書き直しを命じられたことがあった。
二 本件社内出向命令の無効確認を求める部分について
原告が、平成九年一〇月二一日付けで本件社内出向命令を受け、総務経理部所属のまま営業二部で業務を行うようになったこと、平成一〇年五月一一日付けで右命令が解除され、経理総務部に戻ったことは当事者間に争いがない。
そうすると、本件社内出向命令の確認を求める部分は、過去の法律関係を対象とするものであり、確認の利益がないことは明らかである。
この点について、原告は、本件社内出向命令に端を発して、本件社内出向命令の解除後も原告の職種及び処遇に変更が生じ、その状態は現在も継続しているから、本件社内出向命令の無効確認によって紛争の抜本的解決を図り、原告の地位を確定することができると主張する。
本件出向命令以前とその解除後で、原告の処遇(営業・管理事務職)に変更はなく、原告の担当していた具体的な業務については一致しない部分もある(前記一2(二))が、このような変更が本件社内出向命令の当然の効果として生じたことを認めるに足りる証拠は全くないのであって、仮に、本件社内出向命令の無効が確認されたとしても、紛争の抜本的解決を図ったり、原告の地位の確定をすることにはならない。
したがって、原告の主張は採用できず、本件社内出向命令の確認を求める部分は却下を免れない。
三 債務不履行の成否について
1 原告は、本件雇用契約は、経理事務を担当する管理事務職たる総合職職員とする職種限定契約であると主張するので、この点について検討する。
原告は、被告において経理事務を担当していた畑本主任の後任として採用され、原告は、被告に採用されて以来一貫して経理事務に従事し、営業・管理事務職として処遇されてきている(前記一1(一)、(二))。また、原告の雇用保険加入手続の際に作成された採用証明書(書証略)には、原告の職種として「経理事務」と記載されている。
しかし、右採用証明書には、当面原告が担当する職務を記載したにすぎないと解する余地があり、これをもって、直ちに本件雇用契約が職種限定契約であったと認めることはできない。むしろ、本件雇用契約書(書証略)には、原告の職種を限定する旨の記載がなく(前記一1(一))、被告の就業規則八条一項には配置転換等について規定されており(前記一1(二))、実際にも総務経理部に所属する入社一〇年以上の従業員三名について異動を経験したことのない従業員はおらず(原告本人)、被告においては頻繁とはいえないにしても人事異動の事例は珍しくはない(書証略)ことからすれば、被告は、原告の経験に期待して、当面原告を経理事務に従事させるために採用したが、それは職種を限定する趣旨ではなかったものというべきで、本件雇用契約が職種限定契約であると認めることはできない。
なお、原告は、被告の事務処理規定(書証略)もその主張の根拠として挙げるが、各部門の事務分掌を明確にすることと職種を限定することはなんら関連性がないから、原告の主張を認める根拠とはならない。
したがって、本件社内出向命令以前とその解除後で原告の担当業務に変更が生じていたとしても、被告の債務不履行ということはできず、また、それが権利の濫用に当たらない限り、被告の人事権の行使として許されるものというべきである。
2 原告の担当業務は、本件社内出向命令以前は、主として、現金出納、営業二、三部関係買掛照合及び支払業務の一部、同売上照合業務の一部、営業三部関係請求書の作成業務、現金・小切手、手形等の入金伝票の起票、銀行振込入金の処理、財務会計の一環として、取引先ごとの売掛金・買掛金の管理月報と貸借対照表の売掛金・買掛金との総額のチェック業務、船橋冷蔵倉庫での伝票起票のチェック、船橋冷蔵倉庫の勘定と東京支店の勘定の照合などであり、本件社内出向命令の解除後は、主として、郵便の開封作業、郵便物の切手貼り・投函、立替経費の起票、社有車輛管理、本支店の買掛の照合、運賃・倉庫料振替伝票起票、チーム別月次振り分け表の作成協力、倉庫料の支払、日報の配付、賃貸管理採算表の作成、書庫・書類棚・会議室の整理整頓、保存文書の管理等である(前記一2(二))。
右によれば、本件出向命令以前とその解除後で原告の担当業務に変更を生じていることは明らかである。しかし、本件出向命令以前に原告が担当していた業務のうち、営業部関係のものは、営業部に業務移管されたために、その他の経理業務は総務経理部が人事総務チームと財務経理チームとに機構改組され、原告が財務経理チームではなく人事総務チームに属することになったためにそれぞれ担当業務でなくなったものであり、本件社内出向命令の解除後原告が担当することになった業務は、純粋な経理業務だけではなかったが、総務経理部の業務として位置づけられるものであった(前記一2(一)、証拠略)。また、原告が本件社内出向命令の解除後に担当するようになった業務のうち、本支店の買掛の照合は比較的難易度の高い経理業務で、従来から管理事務職が担当してきたものであり、賃貸管理採算表の作成には経理の知識が必要であり、郵便の開封作業は、被告においては重要視されており、本社では社長が、東京支店では檜山常務が担当したりしていた(証拠略)。
こうしたことに加え、本件社内出向命令以前もその解除後も原告は営業・管理事務職で主任であり、給与の減額もなかったことなど、その処遇に変更がなかったことからすると、原告は、本件社内出向命令の解除後は、本件社内出向命令以前と同一の業務を担当していたわけではないが、本件雇用契約に反する業務を担当させられたということはできないし、担当業務の変更についても、総務経理部内での担当業務の変更にすぎず、原告に特に不利益を及ぼすものではなく、合理性を欠き権利の濫用に当たるといえるような事情も見当たらないから、原告の主張は理由がないものといわざるをえない。
四 不法行為の成否について
1 原告は、本件仮処分命令申立て以降、被告が原告に対し、種々の嫌がらせを行ったと主張するので、この点について順次判断する。
(一) 被告が、本件社内出向命令の解除後、原告に当初席を与えず、決算業務への関与を一切認めず、日常的に上司の監視下に置き、社内文書へのアクセスも禁じ、人事総務チームの会議にも出席させなかったほか、賞与を減額したとする点について
本件社内出向命令の解除後、原告が決算業務に関与していないことは当事者間に争いのないところ、原告の担当業務に変更を生じていたとしても(原告が本件社内出向命令以前に決算業務に関与していたかどうかについては当事者間に争いがある)、すでに認定したように被告の正当な人事権の行使の範囲内であり、不法行為には当たらない。
被告が、当初原告に席を与えなかった、日常的に上司の監視下に置いた、人事総務チームの会議に出席させなかったとする点については、原告の陳述書(書証略)の記載や原告本人の供述にはこれに沿う部分はあるものの、被告はこれを否認しており、原告の陳述書の記載や原告の供述を裏付ける証拠もないことからすると、右の事実を認めることはできない。
社内文書へのアクセスを禁止したこと、原告に専用のパソコンが与えられていないことは当事者間に争いはない。被告が、このように原告に対し、パソコンを使用させなかったのは、パソコンの端末が被告のメインコンピューターとつながっており、機密情報が基幹システムに入っているところ、原告が給与台帳や人事台帳など被告の機密文書を見るなどし、本件仮処分命令申立て事件において、原告がこうした社内情報を疎明資料として裁判所に提出したためであった(証拠略)。
右によれば、被告が原告にコンピュータを使用させなかったのは、本件仮処分命令申立て事件に端を発した措置であったことは認められるが、被告が、その機密情報が無断で公表されることを懸念したことはやむをえないところもあり、原告に対する嫌がらせであるとまでいうことはできない。
被告が、原告の平成一〇年七月の賞与を減額したことは当事者間に争いがない。そして、被告の賞与は、給与規定(書証略)によれば、被告の業績と人事考課によることが認められるところ、被告の業績不振と原告に対する査定の結果、賞与が減額されたのであり、総務経理部所属の八名中、原告を含め三名が減額されていること(弁論の全趣旨)からすると、原告に対する差別的な取扱いということはできないし、原告に対する査定が不当であったことを認めるに足りる証拠もないから、賞与の減額が不法行為に当たるということはできない。
(二) 業務日誌の記載について
業務日誌(書証略)の記載内容は、前記一3(一)のとおりであるところ、業務日誌は、各従業員がその業務内容を記載し、上司に提出した後、当該従業員に返却されるものであり、上司である那須部長や檜山常務が、業務日誌を原告が閲覧することを知っていたのはいうまでもないことであるが、業務日誌は原告と上司との間でやりとりするもので、社内回覧文書のように他の従業員の目に触れるものではない。そのことからすると、内容如何にかかわらず、その記載をもって公然と原告を侮辱したということはできない。また、記載内容は、原告に担当させる業務についてであり、那須部長の原告に対する評価が記載されたものといえ、右記載からは那須部長の原告に対する評価が低いことがうかがわれるが、そのことから直ちにそれを侮辱であるということはできず、したがって、不法行為には当たらない。
(三) 「新業務分担移行に伴う担当者のレベルアップについて」と題する文書の記載について
右文書の記載内容は、前記一3(一)のとおりであるところ、右文書も社内回覧文書ではないので、原告を公然と侮辱するものとはいえない。その記載内容は、原告の能力評価に関するもので、被告の原告に対する評価の低いことが明らかである。しかし、被告の原告に対する能力評価が低いからといって、それが直ちに侮辱に当たるということはできず、したがって、不法行為には当たらない。
(四) 文書作成の際、何度も書き直しを命じたとする点について
被告が原告に文書を作成させ、その際、何度も書き直しを命じたことは当事者間に争いがないところ、その文書とは、社内回覧文書、交際費/会議費総計部門別合計表、電話利用明細表、報告書、稟議書等であり、いずれも業務上必要な文書である(書証略)。これらの文書は、社内で回覧や保存が予定される文書で書式も定型的なものであるが、例えば、原告の作成した交際費/会議費総計部門別合計表をみると、数字や名称の記載ミス、数字を記載する際の「,」と「、」の使用の不統一などが指摘されており(書証略)、到底些細なミスということはできないし、那須部長の指摘も抽象的、あいまいということはできないのであって、原告の主張を認めることはできない。
(五) 書類棚の整理及び会議室の整理整頓について
証拠(略)によれば、原告が書類棚の整理や会議室の整理整頓を命じられ、それらには、具体的に他の従業員が使用したにもかかわらず、元の場所に戻さなかった文書等を書類棚に片づける業務を命じられていたことが認められる。ところで、本件社内出向命令解除後の原告の担当業務として、法律上保管が義務づけられた元帳等の文書の管理保管業務があり(前記一2(二))、本来右業務は、文書の保管、従業員が必要な際に容易に閲覧できるように文書を整理しておくとともに他の従業員に対し、取扱方法について注意を促す(使用後は元の場所に戻す等)ことなどであると推測されるが、実際には、それ以外に他の従業員が片づけなかったものの後始末のような作業が含まれるのもやむをえないところがあるというべきであり、そのような作業をもさせられたからといって、直ちに被告の行為が不法行為に当たるということはできない。また、原告は、故意に誰かが書類を散らかしているといった主張もするが、これを認めるに足りる証拠はない。
(六) 船橋冷蔵倉庫における書類廃棄について
渡辺晴見課長(以下「渡辺課長」という)が、平成一〇年一一月一〇日、原告に対し、同月一九日に船橋冷蔵倉庫の廃棄書類の確認及び搬出を指示したことは当事者間に争いがない。そして、原告は、渡辺課長の指示に従い、同月一九日、船橋冷蔵倉庫に赴き、廃棄書類の確認を行ったところ、ダンボール箱にして一二一箱あることが判明したので、その旨渡辺課長に電話で連絡したところ、同課長がこれを廃棄するよう指示したので、原告は従前フォークリフトを使用して行っていたことなどを説明すると、渡辺課長はフォークリフトを頼んでおくと答えたが、原告は危険であるという理由でこれを断った。そこで、渡辺課長は一人でできる量を手で行うよう指示した。原告は、渡辺課長の指示を受けて、ダンボール一二箱を搬出し、その日の作業を終了したが、後日総務経理部長が原告を手伝い、フォークリフトを使用しないでダンボール九四箱を搬出している(以上の事実は、書証略及び原告本人により認められる)。
右によれば、被告から一人で廃棄書類すべての搬出を命じられたとする原告の主張を認めるのは困難であり、後日総務経理部長が原告とともに廃棄書類の搬出の大部分を行っていることに照らし、被告の原告に対する指示が嫌がらせであったということはできない。
(七) 始末書の提出及び譴責処分について
本件仮処分命令申立ての前後を通じて、原告が始末書を提出し、被告から譴責処分を受けたことは前記一3(一)のとおりである。
これらについて、原告は、被告が些細なことにクレームをつけ、始末書の提出を強要したと主張するが、その内容をみると、いずれも直ちに些細なことということはできないし、本件仮処分命令申立て以前のもの(無断外出の件)も含まれていることからすると、直ちに本件仮処分命令申立てに対する報復措置ということもできない。また、原告が始末書の提出を拒否した際に譴責処分が行われていること(前記一3(一))からすると、原告を怒鳴り叱責し、恫喝するなどしていわば強制的に始末書を提出させたとする原告の主張も認めることはできない。
譴責処分は、右に述べたように、原告が始末書の提出を拒否した際に行われているところ、平成一一年二月二日付け譴責処分は、「銀行振込依頼の記入方法を誤り、経費の二重払いに陥る危険を招いたこと」を理由として行われている(前記一3(一))。これに対し、原告は、二重払いの危険はなかったとして、当初始末書の提出を拒否したが、結局、始末書を提出している(前記一3(一))。そして、右の件については、原告が作成した振込依頼書の訂正方法を誤った長尾課長代理も始末書を提出しており、長尾課長代理は、経費の二重払いの危険があったことを銀行に確認している(書証略)。これらのことからすると、右譴責処分が不当であるということはできず、したがって、不法行為には当たらない。
また、平成一〇年一〇月一日付け譴責処分は、「正当な理由なく立入りを禁じた部屋へ立ち入り、社内機密文書(給与台帳)を無断で見たこと」を理由として行われている(前記一3(一))。原告は、右の件について、始末書を提出せず、訴訟代理人を通じて、被告に対し抗議文書(書証略)を送付している。被告は、右譴責処分に先立つ平成九年一二月一二日、原告に対してのみ、会議室の使用と七階への無断立入りを禁止する旨文書で伝えており(書証略)、右譴責処分は、これに違反したとして行われているところ、原告に対してのみ会議室の使用や七階への立入りを禁じたことは、差別的な取扱いと受け取られかねない面がある。しかし、被告が会議室の使用や七階への立入りを禁じたり、右譴責処分を行ったのは、本件仮処分命令申立て事件において、原告が社内機密文書を疎明資料として提出したことや、給与台帳、人事台帳といった社内機密文書を原告が無断で閲覧しているのを知ったためであったこと(証拠略)からすると、被告が、やや過剰な反応といえなくもないが、社内機密文書が裁判資料その他の目的でいわば第三者の目に触れることを懸念したとしてもやむを得ないところもあり、本件仮処分命令申立てに端を発したものであったとしても、それ自体直ちに違法とまではいえず、したがって、不法行為には当たらない。
2 右によれば、原告主張の被告の各行為はいずれも不法行為であるということはできず、他に被告が本件仮処分命令申立てに対する報復として、原告に対し嫌がらせといえるような行為をしたことを認めるに足りる証拠はないから、原告の主張を認めることはできない。
五 以上の次第で、原告の請求のうち、本件社内出向命令の無効確認を求める部分は、確認の利益を欠くから却下し、その余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 松井千鶴子)